母の病気と介護
Allyです。 母の病気、ラムゼイハント症候群と癌の発症から 治療と手術の経緯。これが最終回です。 母の塗り絵NO.14 あまり知られていない、ラムゼイハント症候群と いう病気に苦しんでいる方や、介護をしている方 に向け、微力ながら少しでも参考になれ…
Allyです。 母の体力が少し回復した頃に、紹介状を貰ってい た、自宅近くの慶応義塾大学病院へ向いました。 母の塗り絵NO.13 担当の医師は、以前お世話になっていた病院から 詳しい事情を伝達されていたので、これ以上の治 療は無理と、初めから判…
Allyです。 担当医師から、お看取りを考えてと言われ、抗が ん剤の治療を諦めた時点で、治療以外に何か私が できることはないのか?と考えました。 今考えても不思議に思うのですが、医師からそう 宣告されても、私の中では母が癌で死んでいくと は、全…
Allyです。 抗がん剤を身体から排出させる治療を数日間行い 少し体力が回復したころ、母は退院しました。 抗がん剤の投与の影響で、髪の毛は一瞬にして真 っ白になり、爪は茶色に変色していました。 近くの大学病院への紹介状はありましたが、受診 でき…
Allyです。 やっぱりか。。。 定期検診に訪れた際、担当教授から癌のリンパ節 への転移を告知されました。 医師の言葉の意味 母が出て行った後の診察室で担当教授に言われた ひとこと。 「長くはないから、安心していいよ」 この言葉の意味を、私はひと…
Allyです。 マイクロサージャリー手術のお蔭で、見るからに アンバランスだった顔面は、少しまともになった ような気がしました。そして、完全に元通りでは ないにせよ、眼も閉じられるようになり、兎眼か ら解放されました。これが一番良かったこと。 …
Allyです。 そして検査の日々が過ぎていき、母は入院し マイクロ・サージャリー手術の日がきました。 マイクロ・サージャリー手術 じゃあね、頑張ってね!と母を見送ったあと ただただ、待合室で待ちました。。。 手術は、6時間くらいかかったと思いま…
Allyです。 発症から一年が経過しました。 母の左顔面に、動く気配は全くありません。 数か月前からは、ペインクリニックでの、神経ブ ロック注射も、針が怖いから行きたくないと言い 出して、止めてしまいました。 陳旧性顔面神経麻痺 筋肉は損傷を受け…
Allyです。 完全麻痺までの日々 母の状態は、その後変わることもなく、日々が過 ぎていきました。幸い、暮らしている住居はマン ションなので、段差もなく、廊下も狭いので壁を 伝ってゆっくりゆっくり移動ができます。 母の塗り絵NO.6 トイレなどは、…
Allyです。 辛い後遺症はその後も続いてゆき、終わりのない ものでした。母の口から出てくる言葉の90%は 辛いことを訴える言葉。頭が重くて、眩暈がして 顔がビリビリ痺れて、眼が渇いて。。。 毎日毎日、何度も同じ言葉を、訴えられました。 顔面神…
Allyです。 神経減荷術の手術を終え退院した後も、ラムゼイ ハント症候群の後遺症は、酷くなる一方で、母は ほぼ一日中、ソファーに横たわって過ごすように なりました。精神的にも参っていて軽いうつ状態 にもなっていたと思います。主治医からは、自宅…
Allyです。 母がラムゼイハント症候群の治療のため入院し 投薬による治療が開始されました。抗ウイルス薬 とステロイドホルモン剤の点滴投与です。 その入院治療期間にも顔面の麻痺は少しづつ悪化 していきました。 口の中にも水疱ができはじめ口の中が…
Allyです。 母がラムゼイハント症候群を発症したのは 2010年、母69歳の時。 その当時の母は、とても元気でひとり暮らしをし ていました。小太りでおおらかな性格だからか 年齢よりはずっと若く見えたかな。 母の塗り絵NO.2 毎日の様に近所の方々と…
Allyです。 今現在も、母が苦しみ続けている後遺症を残した 病気と治療のことを、少しずつ記憶を手繰り寄せ ながら記録していきたいと思います。 ラムゼイハント症候群 病名は「ラムゼイハント症候群」 これを読んでくださっている方や、あなたの大切 な…