Allyです。
そして検査の日々が過ぎていき、母は入院し
マイクロ・サージャリー手術の日がきました。
マイクロ・サージャリー手術
じゃあね、頑張ってね!と母を見送ったあと
ただただ、待合室で待ちました。。。
手術は、6時間くらいかかったと思います。
ポケットベルで呼び出され、手術室へ。
手術は成功とのこと、無事に終了しました。
これで、母親に笑顔が戻る!
そう思っていたのです。
集中治療室
ICU(集中治療室)で会った母は、顔の倍近い
包帯で、ぐるぐる巻きにされていました。
ほぼ話すことはできませんでしたが、毎日毎日
仕事が終わると、ICUへ通いました。
元々気丈な性格で我慢強い母は、片目の合図で
大丈夫と伝えてきました。
そして数日後、一般病棟に移る事ができました。
まだ、包帯が取れていなかったので、母の顔の
状況は判りませんでしたが、とりあえずICU
から出られ、包帯も小さくなり安心しました。
そして、私はまだ仕事を続けていたのでICU
からでられた後、すぐに、海外出張に出ました。
母が病院に入院していてくれた方が、安心して
仕事ができたことも、事実です。
そして母が退院予定日の数日前、海外から病院へ
電話をしました。順調な場合の退院日は聞いてい
たのですが、確認のための電話でした。
しかし、その瞬間に異変が起きていたのです。
私 「予定通り、退院の日は決定でしょうか?」
病院「今はそれどころではありません!」
私 「どういうことですか?」
病院「今、下血して大変なんです!」
病院「とにかくその日に、退院できません」
こんなやり取りだったと思います。
その時は、私も気が動転していたこともあり
あまり詳しくは覚えていません。
私の電話したその瞬間に、母親の身に起きて
いた出来事でした。
日本に帰国し、そのまま三鷹にある病院へ。
母のからだに起きていた、次の病気は。。。
がん
やっと手術をして、眼が閉じられるようになる、
顔のゆがみが治って、笑顔が取り戻せると思って
いた矢先のことだっただけに、辛い告知でした。
今までのことを考え、放心状態にもなりました。
しかし、私よりも辛いのは本人、母です。
これからは、癌とも闘っていかなければ。
そして、もう仕事は続けられないな、と思った
瞬間でもありました。
マイクロ・サージャリー手術とは
ラムゼイハント症候群とは
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
Thank you
Ally