アリーの機音カフェ

趣味の機織りの様子や作品、国内外の旅行記やお食事、母の介護のお話など

ラムゼイハント症候群・完全麻痺までの一年

Allyです。 

完全麻痺までの日々

母の状態は、その後変わることもなく、日々が過

ぎていきました。幸い、暮らしている住居はマン

ションなので、段差もなく、廊下も狭いので壁を

伝ってゆっくりゆっくり移動ができます。

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母の塗り絵NO.6

トイレなどは、今でも自分で済ませることができ

ています。これが、私にとっても母親にとっても

唯一の救いです。

 

食事を作ることはできませんが、食べる際の介助

も不用です。ただ顔の歪みによって食べ物をうま

く咀嚼できませんから、柔らかいもの、小さく切

ったたものを用意する必要があります。そして舌

が痺れているので香辛料の効いたものはNG。

 

私が出張などで食事の用意ができない場合は宅配

の食事を依頼します。宅配の場合インターフォン

に出ないなどの異常があれば、電話が来るシステ

ムなので安心でした。

 

病院へ行く際はタクシーを呼び、病院内でも長い

移動距離でなければ、車椅子はなるべく使いませ

んでした。発病以来、病院に通院する以外で、外

での歩行をすることは全くなかった為、歩行補助

器で歩く訓練も必要だったのです。もちろん病院

側としてはとても迷惑な話だと思いますが、万一

転倒するなどの事故が起きても、病院内であれば

安心、なんとかなるという気持ちもありました。

大学病院などの大きな施設では、人も多く空間も

広い為に、眩暈とふらつき、そして片目での歩行

はとても辛いようで、母に優しくないと言われて

何度も嫌な顔をされながらも。。。

亀のようにゆっくりゆっくり、下を向いて歩いて

いく母にただただ、黙って付き添いました。

 

2011年3月の震災の際には、余震の続く東京

にひとりで残すことができず、海外出張へ同行さ

せたこともありました。顔面麻痺の母には、パス

ポート用の写真を撮ることですら、とても難しく

嫌な思いをさせたことでもありました。

「眼を大きく開いて」とか、「口を閉じて」とか

写真館の人の指示に懸命にこたえようとしている

のですが、パスポートに適する写真を撮れる状態

ではありませんでした。母の所持する唯一の写真

付の証明書はこのパスポートのみですが、その後

証明書が必要な際にも一切出してはきません。

きっと、歪んでしまっている自分の顔写真は辛す

ぎるのでしょう。

 

そしてこの頃はまだ、介護の公的機関に頼ってい

ませんでした。幸いなことに、私は自分で仕事を

しており、時間は比較的自由で スタッフや友人

にも協力してもらいながら、なんとか母とふたり

での生活を続けました。 

 

そして発病後1年の日々が過ぎました。

次のステップに進む時です。

ラムゼイハント症候群とは

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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

今日の一杯はここまで。

Thank you

Ally