アリーの機音カフェ

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母がラムゼイハント症候群を発症しました

Allyです。

母がラムゼイハント症候群を発症したのは

2010年、母69歳の時。

その当時の母は、とても元気でひとり暮らしをし

ていました。小太りでおおらかな性格だからか

年齢よりはずっと若く見えたかな。

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母の塗り絵NO.2

 毎日の様に近所の方々とバードゴルフ、競技会

にも参加したりして楽しんでいました。

バードゴルフって、ご存じですか?

羽の付いたゴルフボールを、通常のゴルフで使う

アイアンで打つ競技です。たしか、9番アイアン

1本を使っていたと思います。カップはゴルフと

違って穴に入れるのではなく、パラソルを逆さに

した形状でボールをアイアンでふんわりあげて

カップインを狙う競技です。

 

そして年に一度は私と一緒に海外旅行や温泉旅行

へ出かけたりして、楽しく老後を過ごしていると

思っていました。

病気の発症

発症の日、母が洗顔時にうがいをすると、口の端

から水がこぼれ出てしまい、不思議に思って鏡を

のぞいた時、顔面の半分が歪んだ姿が映っていた

そうです。その時既に、ラムゼイ・ハント症候群

の進行が進み始めていました。

後に思うことですが耳の水泡が先行する発症なら

もう少し早く治療を始められたのではないのか?

と、今でも思ってしまいます。

 

母は誰にも知らせずにタクシーを呼び、ひとりで

近くの救急病院へ向かいました。不幸なことに

その日は日曜日で、その病院に当直の専門医は居

なかったようです。処方された薬(不明)をもら

い2日間、家で何もせず寝込んでしまいました。

パソコンもできず、情報収集もできない母は

ただただ・・・

こんな顔を誰にも見せたくない!

薬を飲んでいれば治る!

 

そう思い込み誰にも告げないまま、大事な数日が

過ぎてしまったのです。この時はまだ、ラムゼイ

ハント症候群の診断はなされておらず、発症から

日数が経つほど治癒率が低下するなど思ってもい

ませんでした。そして発症した時点で、痛みを伴

う帯状疱疹が認知できていなかったことも

不幸の1つだったように思います。

抗ウイルス薬の投与は、麻痺発症3日以内!

 

3日後の朝、耳の中の水疱が見えるところにでき

ていることに気付いた母は、近所の耳鼻科の診察

で、初めてラムゼイ・ハント症候群の疑いを知ら

されました。耳鼻科医から北里大学病院の紹介状

を頂き、すぐに入院になると聞かされた母は

はじめて近所に住む弟夫婦、そして私に連絡をす

ることになります。

その日、即日入院し治療が始まりました。

 

病院で再会した母の顔に、私はとてもショックを

受けました。69歳とはいえ女性ですから、本人

の辛い気持ちは計り知れれません。

でも・・・

入院治療までの数日が、この後辛い後遺症を残す

こととなりました。

 

ラムゼイハント症候群とは  

www.ally-hataotocafe.com

 

 最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

今日の1杯はここまで

Thank you

Ally