アリーの機音カフェ

趣味の機織りの様子や作品、国内外の旅行記やお食事、母の介護のお話など

私の迷いと決断・母と共に病気と闘う

お題#迷いと決断

 

Allyです。 

今から9年前、ひとりでの生活ができなくなった

病気の母を引き取りました。その中での、迷いと

決断について、書いていきたいと思います。

 

当時の私は、弱小ながらも、海外にも拠点を持ち

事業を営んでいました。連休絡みの日程は、全て

海外での仕事、休むこともせずに働き通しでした

が、自分の趣味を生業にできていたので、毎日が

楽しく、仕事は私の生き甲斐でもありました。

 

一緒に生活するようになった母は、ラムゼイハン

ト症候群という病気を発症し、その後遺症の為に

ひとりでの生活ができなくなりました。眼も閉じ

られないほど歪んでしまった顔面麻痺や、回転性

の強いめまいによる歩行困難などが原因です。

 

寝たきりという状態ではないものの、ひとりで外

出することはできず、15分と座っていることす

ら難しい状態。顔を他人に見せることを嫌がって

誰にも会わず、知らない土地での、籠の鳥生活。

軽いうつ状態でもありました。

 

発症から1年経過後、麻痺は回復不可能と診断さ

れ、動かない顔面を整形によって再建する、マイ

クロサージャリー手術に臨みました。自分の体の

組織の一部を顔面に移植する、難しい手術です。

 

やっと兎眼が治って楽になれる、歪んで引き攣れ

てしまった顔が、元の母の顔に戻る!

親戚や友人を自宅に招いたり、リハビリ施設に通

うことだって可能になる、母に笑顔が戻る!  

 

そう思い描いたのも、つかの間。。。

 

母はまだ入院中、術後の包帯が巻かれている状態

で襲ってきた次の病は、胃がん。  

発生した場所が悪く、胃の全摘出は免れませんで

した。そして数か月後には、リンパ節への転移。

担当医からは「長くはない」と伝えられました。

 

抗がん剤治療を1度だけ受けましたが、度重なる

大手術により、体力の限界だった母には、治療に

耐える力は残っておらず、抗がん剤を排出するた

めに再入院、それ以上の治療は不可能でした。

 

そして、病院からは「お看取りの事を考えると」

と、自宅に近い病院への転院を勧められました。

大学病院では、治療のできない患者を入院させて

置けないのも、理由のひとつだと思います。

 

私は仕事を続けてはいましたが、胃がんを告知さ

れた頃から、少しずつ会社の整理を始めました。

確かに仕事への未練も、迷いもありましたが、辞

める覚悟、決断はできているつもりでした。

 

医師に長くはない、と言われても、母がすぐに亡

くなる想像は全くできず、何か治療法があるはず

だ、それを見つけなければ!と思っていました。

そして、例え治らないとしても、少なくても数か

月以上は、自宅で過ごす時間がある。そう思うと

仕事を続けることは無理だと思ったのです。

 

母の体力が少し回復した頃、紹介状を書いて貰っ

ていた、自宅近くの大学病院へ向いました。

そして、担当医師の言葉に愕然とします。

 

これ以上の治療は無理なようなので、別の病院

を紹介します、相談室で説明を聞いて下さい。

 

今まで、医師の言葉や治療法に対して、素直に従

ってきました。でも、検査もせずに無理と判断し

て貰いたくない、退院後、自宅療養で体力の回復

をしたから、治療はできるかもしれない、1度き

りでも抗がん剤の治療を受けた以上、今の状態を

検査して調べてくれなければ納得ができません。

と、強く訴えました。

初めは渋っていた医師を説得し、3カ月後の再検

査を押さえてもらいました。

 

そして、医師の話していた別の病院の話を、看護

師とソーシャルワーカーから聞きました。

在宅療養の支援もする、いわゆる老人病院です。

その病院なら、今すぐに入院できること、リハビ

リにも力をいれているから、今抱えている後遺症

にも対応して貰えること、治療方法が無くなって

も、最後まで入院が可能なこと。

そして、今後のあなたの人生のことも考えないと

いけない、と、母をその病院へ入院させる選択を

勧められました。

 

そうか、入院しながらリハビリもして貰えるのな

ら、入院させた方がいいのかもしれない。ゆっく

り入院しながら、次の治療を検討できるかもしれ

ないし、検査結果が悪く治療不可能でも、入院し

ていられる、最後は、病院で看取りたい。。。

 

それなら、会社を整理しなくてもいい。

好きな仕事が続けていける。

まだ、間に合う。

迷いました。

でも、母には最先端の医療を受けさせたい。

また、迷いました。

 

その日は検討する旨を伝え、翌日に紹介された病

院の担当者へ、電話を入れました。

母の受け入れは、すぐに可能であること、希望が

あるのなら、在宅での往診で、胃瘻まで準備がで

きる体制であることなどを丁寧に、そして労わる

ように話してくれるのですが。。。

 

何かが違う。違和感があったのです。

その違和感は、最後に聞いた言葉にありました。

 

但し入院された場合、今後は癌の治療を含めて

積極的な治療は、できなくなります。

 

その病院への入院は、看取りへ向けての、準備の

始まりで、回復への希望は、完全に絶たれる。 

 

ふっと頭によぎった迷いは、吹き飛びました。

 

母は、何の為に完全麻痺までの1年と、マイクロ

サージャリーの大手術に耐えたのか?

それは、笑顔を取り戻したいと願ったから。

 

母は、何の為に胃の全摘手術と、辛い抗がん剤の

治療を受けたのか?

それは、もっと生きたいと願ったから。

 

私は母を守って、母と共に病と闘わなければ。

 

その病院への入院は、即座に断り、再検査までの

約3か月間、体力回復と免疫力強化の情報をネッ

ト検索で探し、関連本を読みまくり、食事療法や

サプリメントなど、私のできることを、実践して

いきました。

 

そして介護保険の要支援認定を受け、自宅での入

浴介助や、理学療法士のリハビリなどを取り入れ

て、母が社会と繋がれるように、安心して楽しい

時間を過ごせる機会を作りました。

 

私は、海外法人の譲渡が決まると、約30年続け

た仕事のキャリアを捨て、母がストレスなく生活

を送れるよう、一緒に過ごすことを選びました。

 

3カ月後、CTと血液の再検査を受けました。

そして、最後の審判、検査結果の日。

 

CT画想を見ながら、不思議そうに、そして驚い

たように、医師が話し出しました。

 

癌が判らないくらい、小さくなっています。

何か、特別な治療をしましたか?

 

その後、副作用の少ない、内服薬の抗がん剤治療

を自宅で始め、わずか数か月で癌は完全に消滅。

既に6年以上が経過、母の癌は完治したのです。

 

長くはない、と言われた母のがんが、なぜ短期間

で縮小し、消滅していったかは、判りません。

 

たった1度の抗がん剤治療が効いた?

食事療法やサプリメントが効いた?  

いいえ、私が信じているのは。。。

私と共に母に差し出された、介護をしてくれた方

達の優しい手当てが起こした、奇跡です。

 

あの時、ふっと浮かんだ迷いで、別の道を選んで

でいたら、ここに母の笑顔はないでしょう。

そして、私は一生悔やむことになったはずです。

 

介護離職の決断が、唯一の選択であったわけでは

なく、決して正しい道だとも思いません。

 

自分の家庭を持っていたり、遠く離れた土地で暮

らしていたり、様々な状況で寄り添っていたくて

も、できない環境を悩んでいる、多くの方たちが

いるはずです。

 

だからこそ、病の母と一緒に戦おうと決断できる

環境にあった私は、幸せだと思っています。

 

私の次のステージは、まだ始まったばかり。

母の病と共に歩んだ数年間は、仕事の事ばかりし

か考えてこなかった自分を、きっと成長させてく

れているはず!そう信じて、前を向いています。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

Thank you

Ally